2004.8.3


道端にて。
結婚したら、二人の子どもをつくる、と言う友達がいて、彼女が言うにはそれが現在に生きる人としての義務だとか。

私には、そういう決意が無い。それは、政治的な意識が無くって、自分が母親になれるという自覚が全く無いからなのだけれど、一番の理由は別にある。

2億年もすればきっと誰もいなくなってしまう。そう考えると、私は次の世代の知的生命体に何を残すことが出来るのだろうと考えてしまうから。

さだまさしさんの曲に「天然色の化石」というのがあって、遥か遠い未来に現れる次世代の生命体が、今の私たちの生活を理解することが出来るだろうかと問いかけているのだけれど、そういうものとも、少し違う。

例えば歌にあるように、空も海も森もみんな人間の手によって汚染されてしまったとしても、それは必ずしも遥かな未来の彼らにとってマイナス要素になりえないのではないかと思う。人間が汚してしまったことで促された進化や適応の果てに彼らが現れたとしたら、彼らは私たちの行為をどう評価するのだろう。

46億年もかけて、私はここにいる。それがなんだか嬉しく思う。






                   





















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