2003.08.11


 思ったより早くに着く。台風が通った後のせいか、途中にあった清流は濁流と化していた。まあ滞在日数はまだあるのだから、そう悲観したものでもないのかもしれない。明日か明後日には、釣竿を担いで沢に入れるだろう。


 この奇妙な旅立ちは、ちょっとした偶然が重なって決まったものだった。私の旧い友人が、大学時代の同窓生に出会い、その同窓生がいまだ大学院で研究を続けており、彼の師事する教授が山村の実地調査に出かける予定を持っており、さらには彼がその予定を急遽キャンセルせざるを得ない別の出来事(なんでも親族が急逝したのだとか)に見舞われなければそもそもこんなところには居なかっただろう。大学教授はあわただしく実家のある島根県へ出かけてしまい、残された大学院生は福岡に帰る飛行機をキャンセルするよりも友人を頼った。そしてその友人とともに、私が信州の山村まで出かけて来るという顛末(というか始まったばかりだが)に落ち着いたのだ。

 そもそも実地調査といったところで、古い歴史を持つお祭りを見てきて欲しいというだけのことなのだ。小さな民衆行事である。別に新聞やテレビで取り上げられることのないこの祭りに並々ならぬ関心を持っているのはどういう理由からなのかは知らないが、まあ一年に一回のチャンスを逃すのは研究者としてもったいないと考えたのだろう。もとより会社の夏休みをどう使おうかと思案していたところであったし、岩魚、山女といった渓魚も釣れるということで二つ返事で出かけることにしたのだった。


 古い民宿に到着する。近代的なホテルよりも、古びた木造の建物は、時として快適なのかもしれない。年代を思い起こさせる建物だ。文豪と呼ばれた人間が、かつて一ヶ月も二ヶ月も逗留して文章を練り上げていたのはこういった場所なのだろうか。

 宿で出すのは夕食だけとのことなので、近所に食べ物屋を探す。民宿の女将(なのかどうかは現時点では不明だが)に教えてもらった店で鮎の載った定食を頼んだ。旨い。酒が欲しくなるが運転をしてもらっている手前自粛。ちぇ。700円。鮎が食えてこの値段なら文句はない。それとなく店主に川で釣りをしたいんだと話を向けると、渓魚ならもっと上流へ入らないと駄目だとのこと。ただ、すぐそこで鮎が釣れるらしい。最近になって戻ってくるようになったそうだ。期待したところで、台風のせいで今日、明日、明後日は駄目じゃないですかねぇとの事。ついてない。

 山葵(ワサビ)田をあちこち見かける。帰りのお土産はこれに決まりだろう。刈谷君は今夜は山葵漬けで一杯やろうと言っているが、新鮮なのが手に入るようならただ摩り下ろしただけのものが美味いのでそちらを提案する。

 途中、なにやら喚き散らしているボロをまとった老婆に出会った。都会じゃなくてもああいった手合いは居るのだとなあと不思議に思う。


 宿に帰ると風呂。飲んで風呂。食べて風呂。こういうとこを勿体無いと思ってしまうあたり貧乏性なのだろう。宿の料理は素晴らしかった。岩魚の塩焼きと、山菜の天麩羅は絶品。刈谷君はベタ惚れしていたが私はウルカは受け付けなかった。

 危惧していたが、流石に田舎と言えど携帯の電波は入るようだ。こんなときまでインターネットに繋がっていないといられないのは、まあ、性分だろうか。


 追記:宿を離れたり、村の中心部を離れると、もう圏外になる。






2003.08.12


 二日目。一日宿で過ごす。釣りに出かけようかとも思ったが、天気が良くなさそうだったので結局見送ることにする。日本酒とビールを飲みながら、京極夏彦の新刊に取り掛かる。あくせくとイベントを追いかけない、こういった夏休みも悪くないなあと。「陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)」はまだ読み始めたばかり。このタイトルは、変換が面倒臭い。

 岩魚の刺身というものをはじめて食べた。これを食べにまたここに来ようと誓う。甘みがあって上品な味。美味。


 明後日のスケジュールを確認する。明後日、昼に始まって、明々後日の朝に祭りは終わるらしい。説明を聞くと、なんだか不思議なお祭りだ。

 一、明後日の昼に、少年たち(小学校の5年生と6年生で、いままで「選ばれたことの無い」事が条件)が山の神社に集められ、そこで大きな岩(竜頭岩と呼ばれている大岩があるらしい)を飛び越す。
 二、無事に飛び越せた最初の少年は、清められ、正装して山の神さまへの謁見役となる。
 三、次に少女(こちらもやはり小学校の5年生と6年生だが、男の子と違って事前に誰が選ばれるのかは決まっている)が、青谷鬼の滝の滝壷で身を清める。
 四、少女は少年と神主に付き添われて山の洞窟に連れて行かれる。このとき神主は上社(?)までしか行ってはならず、男の子は洞窟に入ってはならないらしい。
 五、少女は朝になるまでそこで過ごし、やはり男の子と神主に迎えに来てもらう。このときもやはり神主は上社までしか行ってはならず、男の子は洞窟に入ってはならないらしい。
 六、少女が山の洞窟で過ごしている間、他の人は神社で宴会をしている。ただし、「選ばれた男の子」だけは、何も口にしてはいけない、何かを喋ってもいけない。朝まで神社の中で正座をしていなければならないそうだ。

 ざっと聞いた限りでは、いろいろな団体から抗議が来そうだなあというのが感想だ。とりあえず映像に納められそうなのは一、二、三、及び六の宴会風景だけかな。大岩を飛び越すっていうのは、どこか外国でよく見かけるお祭りのように思う。

 新鮮な山葵を手に入れた。これを摩り下ろしたものを肴にして夜は呑んで過ごす事にしよう。

 不思議なことに、蚊に刺された記憶がない。山奥って蚊がいないんだろうか。窓は常に開け放っているのに。


 明日は神主さんに話を聞きに行ってこようと思う。なんでも大学の方と話が付いているそうなので、行けばいろいろ話してくださるとの事。祭りの前日で忙しくなければいいのだが。それとも祭りの準備作業ということで何か面白い物が見られるだろうか。


 西部警察のロケで重傷者が出たとテレビが報じている。自粛、撮影中止なんてことになるんだろうか。西部警察世代でないのでどうでも良いと言えばどうでも良いのだが、自粛したところでどうなるもんでもないと思う。ただ、実際に放送なり上映なりされると、どうしてもこの事故の事を思い浮かべてなんとなく釈然としない気持ちになるのだろう。事故と映画の出来は関係がないと頭でわかっていても、重傷者が出ているという「事態」がいつの間にか脳に刷り込まれた「常識」に作用する。


 「陰摩羅鬼の瑕」は終わりそうにない。まだしばらく楽しめそうだ。






2003.08.13


 神主さんの話を聞く。柔和な顔をした人だ。

 祭りの起源のようなものは残っていないとのこと。ただし、江戸幕府が始まる前からこの祭りはあったという。

 この土地に伝わる伝説というか昔話をいろいろ聞いて、少し不思議に思ったことがある。仏教を伝えに来た徳の高い高僧が、何か悪い妖怪を退治、あるいは改心させる話は日本全国に伝わっているが、この土地に伝わるそれは大分変わっている。大体の話において、神主さん、凄いのになると村人たちが自分自身で「山の神様」の加護を元に高僧との神通力比べに勝ってしまうのだ。もっと凄い話だと、高僧を打ち負かしてその正体を狐だ狸だと看破してしまうのだ。今この話を聞いているのが神社側に伝わっている話だからだと贔屓目に見積もっても、この話はどこかおかしいように思う。

 こちらに来た最初の日に出会った、ボロをまとった老婆は、今から四十八年前に祭りの供儀をやったことで心を病んでしまったのだという。洞窟の中に一晩閉じ込められるというその祭りは、やはりどこか問題なのかもしれない。そんなことを神主さんに言うと、彼は静かに首を振った。外の人にはこれはただのお祭りだと映るかもしれない。しかし、私たちにとって重要なのは、このお祭りによって得られる神性なのです、との事。
 私たちは電気を持って影と夜とを駆逐することに努めてきた。けれども、なにかそういったことでは駆逐できないもの。共存すべき何かを忘れて置いてきてしまっているのではないだろうか。私たちにとっては「珍しいお祭り」に過ぎない。けれど、土地の人にとって、これは吉兆を占うための厳粛な儀式なのだ。
 神主さんの言葉に、少し、気を引き締める。私たちは浮かれすぎていたのだろうか。

 西部警察の事故は、やはり自粛、中止で終わってしまうのだろう。スポンサーも探し難いので妥当なところだろうか。俳優さんには気の毒だが…。

 天気がいいので、夕マズメを狙って沢に入る。二時間ほど粘るも、岩魚を一尾あげただけで終わった。宿に持ち帰って料理してもらうことにする。都会で仕事をしている時には考えられないほど豊かで充実した時間だなあと思う。しかしそれも、部外者であり、観光気分だからなのであろうか。老後、こういった場所で小さな畑をやったり、趣味の釣りに興じたりしながら過ごす、というのは聞こえは良いが、やはり苦労なしで出来ることではないのだろう。

 宿の女将さんの話だと、昔はこの辺りでも蛍を見る事が出来たらしい。やはり環境汚染は進んでいる。人がそこに進出しただけで、自然にとっては大きな変化なのだろう。


 追記:彼女(ボロをまとった老婆)は夏さんというらしい。






2003.08.15


 何を書けばいいのだろう。
 混乱している。多分、私は怖いのだと思う。警察が来て、関係者に対して事情聴取が始まっている。しばらくこちらで足止めさせられるのだろうか。
 あまりのことに現実感が無い。私の目の前で彼は死んだのだ。無残にも貪り食われたのだ!そうとしか思えない。警察官が慇懃な態度だったのは何故なのだろう。神主の態度だって不可解だ。何故彼は、一切慌てず、取り乱すことなく居られたのだろう。何かがおかしい。どこか狂っている。どこかが。

 ようやく警察から開放された。今は少しでも眠りたい。なんでこんなことになったのだろうか…。

 夏婆さんが静かに泣いているのを見かけた。彼女が誰を憎悪しているのかがわかった。彼女は狂ってなどいなかったのだ。その怒りと憎しみがあまりに強かったために、それは狂気として映っただけだったのだ…。

 夏婆さんが異常なのではない。真に異常なのは…。



 もう、眠りたい。眠くて仕方が無い。
 だが、怖ろしい。眠ってはいけない気がする。

 帰りたい。






2003.08.16


 覚えているうちに書き記しておこうと思う。

 結局あのお祭りの日、選ばれた少年が死んだ。選ばれた少女は無事だったが、目が見えなくなっていたという。外傷はないので、心因性の何かだと思う。あまり詳しい話は聞けていない。何が起きたのか、よくわからない。

 祭りは予定通りに始まった。予定通りに順調に進められた。私たちはビデオカメラとデジカメを使ってその様子を撮影し、宴会の輪に加わって朝を待った。祭りの詳しい内容はあえて触れないでおこうと思う。だが、嵐と言ってもいいようなあの天候だったにもかかわらず、誰一人として中止を言い出さなかったことは、今では納得できる。轟々と唸る滝音、いつにも増した水量にも、選ばれた少女や、その両親もが中止を言い出さなかった事を、あの時は異常にも感じたが、今では納得できるのだ。
 彼らが怖れたのは悪天候や、祭りを実行する上での水難事故では無い。彼らが怖れたのは守られるべき手順が守れない事だったのだ。

 朝になり、少女を迎えに行く段になって、私たちに撮影のお誘いがあった。こちらは別に禁じられていたわけではないが、祭りの手順を聞いて自粛していたのだ。洞窟に少年が入り、少女とともに出てくる。そして二人は神主が待っている上社まで戻り、祭りは終了する。まあおいでなさいと言われてついて行ったのが原因だったのだろうか?
  だが、その時には全て終わっていたのだ。

 上社、と呼ばれる祠に着くと、神主にここで待っているよう告げられた。私たちは言われた通りにそこで待機し、少年が少女を連れてくるのを待った。しかし、しばらくして少年が困惑顔で戻ってきたのだ。

「少女の様子がおかしい」彼はそう言った。そして私たちは急いで洞窟まで行った。何か、風邪でもひいたのだろう。あるいは事故にでもあったのか、そう思っていたのだ。

 そこは洞窟の中にしつらえた小さな祠のようだった。注連縄の巻かれた大岩の脇にボロボロになった木戸があり、彼女はその中にいた。彼女は虚ろな目を一杯に見開いて、私たちが来たことにも気がついていないようだった。ただ、呆として宙を眺めていた。神主さん肩を揺すられても、なんの反応もない。彼女はただ木戸の中のさらに奥をじっと見つめていた。神主さんは彼女を背負うと出口へ向かうよう皆に告げた。

 そのときだった。前を歩いていた少年の顔が見えない何モノかに食いちぎられたのだ。何かとても大きな力によってありえざる方向に彼の顔が捻じ曲げられたかと思うと、彼の顔が半分、左目のある位置を抉る様に噛み千切られた。彼は声を上げるまもなくその場に倒れた。死んでいた。彼は死体となって、どさりと倒れこんだのだ。

 神主はそこに残ると言い、私たちに人を呼んでくるように頼んだ。私は少女を背負い、刈谷が前を行く形で宴会場である神社まで走った。無我夢中だった。何か得体の知れないものがすぐ後ろをついて追ってくるような気がした。振り返ると、神主がじいっとこちらを見つめているのが見えた。私たちは転がるように下山し、神社を目指したのだ。背中の彼女の重さなど気にならなかった。ただ、彼女が呟いた言葉が気になった。「テンダロサマ」彼女は確かにそう言ったように思う。一体、なんなのだろう…。

 警察にはすべてを話したが、何を信じてもらえると言うのだろう。様子のおかしかった少女はその直後「おこり」のように震えながら大声を上げて涙を流しながら笑っていたのだ。今考えてもぞっとする。この一連の儀式は形式化された歴史の残照なのではない。今ならはっきりとわかる。これは「祭」ではなく「祀」なのだ。先史時代に、地球のありとあらゆる場所で行われていたであろう「儀式」だったのだ…。

 すべてが恐ろしい。すべてが恐ろしい!今年の祭は失敗に終わったのだろうか。否だ。今年の祭こそが成功だったのだ。息を切らして刈谷と私ががこの恐るべき出来事を宴会場に伝えたとき、そこに湧き上がったのは恐怖だったか?驚愕だったか?否だ!歓声があがったのだ!

 48年前に成功したきり、この祭は成功しなかった。山に潜む何かは供物を受け入れなかったのだ。供物は少年だったのだ。少女の役割こそが神と人との交信を司る巫女だったのだ。

 そして私が恐ろしく思うのは、それを歓声とともに受け入れる町の人たちだ。彼らの表情は、歓喜だった。紛れも無く喜びだったのだ。一片の後悔や慙愧といったものはそこには見出すことが出来なかった。そこにあったのは自らの生活を保障されたことを安堵する町の人々の姿だった!

 ああ、そして私が恐ろしく思うのは、この祭りが中止になってしまったとき、警察の手でこの祭りの手順が何か事故や事件の起こりえない方法へ変えられてしまったとき、祀られなかったモノは一体どうするのだろうということだ。捧げられるべき供儀が捧げられなかった時、いったいこの土地はどうなってしまうのだろう!!






2003.08.17


 警察から解放された。もう、東京に帰っても構わないとの事。おかしい。開放されるはずが無い。人が死んで、そしてまだ二日しか経っていないのに。

 ああ、そうか、と漸く思い至った。

 あの祀りが中止になるようなことはないのだ。これからも、今までどおりに続くのだろう。

 奇妙な安堵感と恐怖感。神主にはまだ「良心」があったのだと思い至る。なぜ彼は祭りの最後に私たちを呼んだのか。何故彼は、祭りのルールを破って村人も近づけない洞窟に私たちを連れて行ったのか。

 刈谷と一言も喋らないまま東京へ舞い戻った。一刻も早く逃げ出したかった。



 もう、何も思い出したくない。






                   





















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